さんごの鬼籍入りから10日も経っていない11月7日、午後3時7分。 長男さすけが息を引き取った。 享年18歳3ヶ月。 ![]() 思えばさすけの発症はさんごより早かったのかもしれない。 目に見えない状態で進行していたが、些細な変化が出だした頃にさんごの発症が 目に見える形で出たので、そちらに気を取られすぎてしまった。 さんごが逝って状況が落ち着いた頃には、既にさすけの病状は深刻なレベルに。 病状はおそらく『肝炎』と『膵炎』の同時発症。 その付近にエコーで謎の影が見えたので、ガンがあったのかもしれない。 だが詳しい検査をする余裕も無かったので、はっきりとはしていない。 しかし部位を考えると、少し前から起こっていた血の混じった嘔吐は『胃炎』では なく、十二指腸付近に炎症が広がった事による出血の可能性がある。 あれより前から、すでに病魔はさすけを蝕んでいたのだろう。 病院に駆け込んだ時にはすでに黄疸を発症しており、危険な状態だった。 ![]() その時は既に低体温になっていた。さんごと同じ様な状態だった。 『いつ死んでもおかしくない状況』 同じ言葉だった。 それでもさんごの時は、ある程度の改善を信じて入院と言う決断をした。 その後投薬などで少し回復はするが、3日後頃には再び悪化。 くるみも同じだった。3日経った頃に悪化する。 これは猫の心が折れる期限なんだと思った。 『捨てられた』と確信する時間なんだと。 だから入院は3日以上させないと決めた。 病院であまり効果がないと出た時点で、さすけを連れて帰ることに。 さんごが最後に家にいれた時間が数分だった事の後悔を繰り返さないために。 その後数日の通院をしてみたが、やはり体温は落ちる一方だった。 体温が上がらなければ次の治療も難しい。 だがもう体温を上げる体力が残ってない。 その時点で、最期を看取る覚悟を決めた。18年住み慣れた家で、見届けようと。 その時、病院では今日明日の命と言われた。今すぐでもおかしくはないと。 ![]() だがさすけはそこから必死にあがいた。今日どころかその翌日を超え さらに次の日の朝まで迎えた。 初日から既に呼吸が難しかったのに、そこから酸素も無しで3日近く生きた。 信じられない生命力だった。 いや…あれはさすけの意地だったのかもしれない。 負けず嫌いで自分が一番。誰にでも威嚇して立場を誇示する『殿様』さすけ。 そんな意固地な男の最後の意地を見た気がした。 だがその日は自分は『ED2』の収録の日なので、家を空けなければならなかった。 正直その日まで保つとは思っていなかったので、かなり動揺していた。 ひょっとしたら…とは思っていた。 前日には嫌がられる程一緒の時間を過ごした。 家を出るとき、別れも言っておいた。 だが帰るまで待っててくれるかもと言う、淡い期待も持っていた。 だがやはり無理だった。 ![]() 収録の最中、午後一時半頃にメールで訃報が告げられた。 看取る事は叶わなかった。こはくの時に続いて2回目。 最後はかなり壮絶だった様だ。血も吐いたと言う。 長い時間苦しみ抜いた末の絶命。 立派だったと思う。 早く楽にしてやれない無力さも身に染みた。 猫を飼うきっかけになった、元祖ご主人様『さすけ』。 出会いも突然なら別れも突然だった。 そういえば寝てる所に突然乗って来て起こし、飯を要求するさすけらしい 最後とも言える。 しかし、いくらなんでもこんなに同時に発症するとは…思ってもいなかった。 ![]() 2匹がほぼ同時に他界。しかももうすぐくるみの1周忌。 最後に残ったのは次男のあらしのみ。 淋しくなったものだ。 家がこんなに静かになったのは何年ぶりか…。 この18年、ここまで賑やかになったきっかけを作ってくれた愛息が別れを告げた。 今はただ静かに見送ろうと思う。 今さすけの体は、冷たいけどいつも通りの良い香りのする、いつもの体だ。 病院にいた子は必ず、消毒の臭いになって最後を迎えてしまう。 だがさすけはいつものままで逝けた。それがとても嬉しい。 不謹慎だが、嬉しいのだ。燃やすのが惜しいくらいに。 それくらいあのトラ柄が愛おしかった。 ![]() 最愛の息子よ…どうか安らかに。 3匹の娘達、生前は色々あったけど…『お兄ちゃん』をどうかやさしく迎えて あげて下さい。 本当に…言葉では言い尽くせない程の『ありがとう』を。 |
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